1.江戸川区の位置と広さ、交通網 |
江戸川区は東京都の最も東端に位置する。区域は東西に約8㎞、南北約13㎞で、面積は49.09k㎡。
東は江戸川・旧江戸川が、西には荒川・中川の大河川が流れ、南は東京湾に面する。
区内面積の約7割が満潮位以下の「ゼロメートル地域」と呼ばれる低地であり、今も昔も「水」との結びつきが強い地域となっている。
隣接地域は、葛飾区、墨田区、江東区、千葉県浦安市、千葉県市川市、千葉県松戸市の6つ。
電車はJR総武線、京成線、京葉電鉄、都営地下鉄、東京メトロと複数の路線があり、都心や千葉県へのアクセスに優れている。
道路は東西には蔵前橋通り、千葉街道、京葉道路、湾岸道路が、また南北には船堀海道、環状七号線、柴又街道が伸びている。
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2.江戸川区の歩み(概要) |
江戸時代以前の
利根川、荒川、渡良瀬川水系
江戸川区ホームページより |
(古代~平安時代)
江戸川区は古くは海底にあり、約3000年前から徐々に陸地が形成。
弥生時代後期(約1800年前)になると、現在の小岩付近に人が暮らし始め次第に南下する。
古墳時代(約1600年前)になると、半農半漁の生活を営む人々が増えてきたと考えられている。
平安時代になると村が18 程度あり、現在の「鹿骨」や「一之江」など地名が既に使われていた形跡がある。
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(江戸時代)
天下をとった徳川家康が江戸城に入府すると、区内のほとんどは幕府の直轄地域とされる。
1590年当時の江戸は、その大半は川や沼などの低湿地帯で、多数の河川が流れ込むために河川の氾濫も多く、それらの中に点在する舌状台地に小規模な集落があるだけの寂しい場所だった。
こうした環境を変え自らの居城と城下町を整備するため、徳川家康は新田開発や水上交通網の開発などの大きな開拓事業を開始する。長い年月をかけて行われたこの工事は「利根川の東遷(とうせん)」と呼ばれている。
治水工事も進み、現在のように利根川と繋がったのは1621年頃のこと。
江戸時代には葦(アシ)や萱(カヤ)などの生産のため、盛んに海浜地域での新田開発が行われていた。
(江戸時代の街道)
江戸時代における主要道路は4道あり、逆井の渡から小岩に通ずる「元佐倉道」、新宿から小岩を経て市川に向かう「佐倉街道」、「行徳道」、「岩槻道」があった。
江戸時代に区内にかけられていた橋は24基あったが、江戸川や中川など大きな川には、政策上から橋をかけず、各所に渡し船がおかれていた。
かつて小岩市川の関所は、房総方面から江戸に入る街道に設けられた重要な関所で、「入鉄砲に出女」と言われたように厳重な取り調べが行われていた。
佐倉街道は、水戸街道から葛飾の新宿で分かれる脇街道で、小岩村にはいる重要な道。小松川から小岩市川の関所に向かう一直線の道で、現在は千葉街道となっている。
行徳道は、小松川から今井に達する古い道で、成田参りの人々が往来したり、行徳でつくった塩を江戸に運ぶために利用されていた。
岩槻道は、篠崎・小岩を通って埼玉県の岩槻に通じる道で、区内を縦に走る重要な道であった。
(明治時代)
明治4(1871)年、廃藩置県により江戸川区は初めて東京府となった。明治22(1889)年の市制・町村制の実施により、江戸川区の村も大規模な統合が行われ、松江・船堀・葛西・瑞穂・一之江・平井・小松川・鹿本・篠崎・小岩の10
ヶ村となったが、町はまだ生まれていなかった。
明治時代は、中小河川が無数に流れる低湿地帯が区域の大半を占めていた。
(大正時代~昭和時代)
大正6(1917)年、錦糸堀(現在の錦糸町)と小松川間に城東電車が開通し、大正14(1926)年には東荒川から今井間まで延長した。昭和27(1952)年には廃止される。以降は、東京発のトロリーバスが運行されるようになる。
昭和6(1931)年に荒川放水路、昭和8(19191)年に江戸川放水路が完成し、それぞれの村の整備が進められる。昭和38(1963)年には、24
年間かけてつくられた新中川放水路が完成。これが現在の「新中川」となっている。
1960 年代以降の急速な都市化により生活排水などで汚れた中小河川を清流として甦らせるため、昭和48(1973)年に日本で初めての親水公園が整備された。
昭和57(1982)年に、葛西沖の埋め立て地が完成し、現在の区域がほぼ出来上がった。
(平成時代)
平成元年には都営新宿線が開通し、現在の鉄道網が整備された。
平成8(1996)年には下水道普及率100%を達成し、これまでの放水路の開削、堤防の強化など様々な取り組みの結果、「雨が降れば水浸し」と言われた本区の水に対す
る安全性が格段に向上した。
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3.人口・世帯数(平成26年3月1日現在) |
世帯数 |
男性 |
女性 |
合計人数 |
318,560世帯 |
341,551人 |
334,036人 |
675,587人 |
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4.江戸川区の出生率(平成25年11月1日) |
合計特殊出生率
江戸川区 …1.40 人
※(国の平均値…1.41人)
※(23区の平均値…1.12人)
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【合計特殊出生率とは?】
一人の女性が一生のうちに産む子供の数。
この数が2.07を超えないと人口が減少すると
言われています。 |
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東京23区内では一番高い数値であり、江戸川区は平成5年から20年連続でトップの座を維持しています!区内で、年間6千人の赤ちゃんが生まれるイメージです。
~江戸川区長のお言葉~
「子どもは宝。地域の子育て力と教育力は、本区のかけがえのない財産です。」
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5.江戸川区の平均年齢(平成25年1月) |
江戸川区の平均年齢…42.36歳
(東京23区…44.04歳、東京都全体…44.08歳) ⇒上に戻る
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6.江戸川区の木、 江戸川区の花 |
区の木 …楠(くすのき)
区の花 …つつじ ⇒上に戻る
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7.江戸川区の紋章 その由来 |
江戸川の「エ」を躍進上昇する「はと」に図案化し、かぎりない発展と平和を象徴したもので全体の円形は、区民の協力と融和を示す。
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8.江戸川区の特産品 |
金魚、 江戸風鈴、 切子、 和傘、 藍染め、 にしき絵だこ 等
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9.全国に先駆けた親水公園(用水路跡) |
かつて江戸川区内には420kmにも及ぶ、水路や中小河川がありました。
しかし昭和40年頃より、都市化の発展ととも生活排水の流れるドブ川と姿をかえ、環境破壊が目立つようになる。悪臭を放つこれら水路や河川は埋立や暗渠(あんきょ)化が進められるようになる。
江戸川区は水とともに歩んできた地域でもあり、改善策として考えられたのが、水路や中小河川を「親水公園」や「親水緑道」などにして、積極的に活用できるようにしようというも。昭和48年には回復不可能と思われていた「清流」がよみがえり、国連でも発表されるなど多くの賞を受賞する。 |
古川親水公園工事前(昭和47年撮影)
江戸川区ホームページより |
国内はもとより、世界各国で大きな反響を呼んだ画期的な国内の「親水公園」は江戸川区から生まれている。
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